卒業生探訪 - 64期 庄島 辰尭
「人生は目的と手段の連続」
2024年08月07日
「OWLS 卒業生探訪 ~あの期、あの人~」
Vol.5 64期 庄島 辰尭
未曽有の大被害をもたらした東日本大震災が起こった2011年、西高アメフト部に1年間編入するために、米国から来日。西高で大活躍したのちに、米国でも大きな足跡を残した64期の庄島辰尭(しょうじま・たつあき 愛称ジオ)さんの魅力に今回は迫る。庄島さんは、西高での実績をいしずえに、U-19世界選手権に日本代表の一員で参加。米国に戻ってからは、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)で活躍し、日本生まれの選手として、全米大学体育協会(NCAA)1部でプレーした初の選手となった。その後、再来日し、オービックシーガルズでも中心メンバーだった庄島さんは、30歳になった今、アメフトを卒業し、AI(人工知能)のビジネスで起業家となっているという。
世界を股にかけた人生のゲームプランをまい進する庄島さんは、今、何に関心を持ち、どこに向かおうとしているのか。そこには常に『目的と手段』があるのであった。
西高グラウンドで指導する64期の庄島さん。ラインだけでなく、あらゆるポジションのアドバイスができる
アメフト引退しAIビジネス起業!
この日の西高アメフト指導陣。右から尾崎顧問、大町さん、庄島さん、森下さん
質問)まず今の仕事の内容から教えてください。
庄島さん)
AIベンチャーですが現在はマーケティングの領域に焦点を当てています。2023年5月に登記しました。
小さい頃からロボットを作る夢がありましたが、精巧なロボットを作るためには、データサイエンスの土台と優秀な人工知能が必要だということで、UCLA在学中からこの事業に向けて準備をしていました。
西高で学べたことも感謝しています。64期は同期が19人いるのですが、半分以上が理系に進み、現在も幅広い分野で活躍しています。私自身も大学では地理環境学とデータサイエンスを学びましたが、西高で出会った仲間には私の起業に向け多大なサポートをいただいており頭が上がりません。
AIの分野は爆発的な成長をしているので、技術的な変化をどのように人類にとって有益な形にできるかを日々考えています。
何事でも意識する「目的と手段」
質問)「目的や手段」という言葉がお好きだということですが、アメフトで学んだのでしょうか。
庄島さん)
アメフトに本格的に携わる前から、何事も「目的と手段」の二本立てで行ってきました。高校で日本に戻り、西高に編入したのも、UCLAでアメフトをするという目標を実現するプランを立てる中で、肉体的な成長を図るのに時間稼ぎが必要だった為、日本で経験を積むという「寄り道的な」発想が、有利に働くのではないかと考えたからです。UCLAへの編入も、オービックシーガルズへの入団も、日本での起業も全て人生の大きな目的に向けた小目的、すなわち手段として見ています。
庄島さん(58番)は本場米国で挑戦を続けてきた。提供:UCLA FOOTBALL
188センチ、137キロの巨体に明晰な頭脳でオービックの日本一に貢献した。提供:Xリーグ
戦争シミュレーションスポーツ「アメフト」
質問)アメフトに長年携わってきましたが、庄島さんには、アメフトはどんなスポーツに見えていますか?
実践的練習でスキルを「インストールせよ」と選手に説く庄島さん
優秀な戦績を残したコーチが手本を示せるのも現指導陣の魅力
庄島さん)
闘争心をもって、仲間と力をあわせながら勝利に向かって進むアメフトは人生のあらゆる要素を詰め込んだようなスポーツです。アメフトには選手交代があり、レベルが上がればクビやカット、トレード、移籍がある点では、「選手はコマ」であるという発想を生みがちなのですが、私は悲観的に見ていません。私はUCLAでは奨学金選手ではなかったので常にカットと隣り合わせの生活でしたが、与えられた機会でできるアピールとチームへの貢献を最重要視したお陰で一部の奨学金選手よりも活躍の機会を得ることができました。チームへの貢献に集中できれば、たとえコマであっても喜びを感じられるスポーツです。
もう一つ。アメフトはよくアメリカで「戦争のシミュレーション」と言われています。細部に拘って入念に準備をし、相手を欺き、弱いところを徹底的につくアメフトの精神はもしかしたらラグビーのような紳士のスポーツの対極にあるかもしれません。
米国帰りだからこそ伝えたい日本の魅力
質問)最初の話に戻りますが、庄島さんは、米国でなく、日本で起業しました。これは優秀な若者の海外流出に悩む日本にとって、ありがたい話ではありますが、なぜ日本だったのですか?
庄島さん)
私がやりたいビジネスへのニーズが日本にあることと、優秀な日本人が輝き、社会に貢献するプラットフォームを構築するビジョンがあるから日本で起業しました。
しかし、日本に貢献するという意味では、場所はあまり関係ないとも思っています。
たとえば、今年も大リーグドジャースで大活躍している大谷翔平選手。大谷選手が米国で活躍することで日本に関心を持つ外国人が増え、日本のエンタメや商品が人気になり、日本への旅行も増えています。アメリカのプロ野球を目指す日本人選手も年々増えていますね。スポーツに限らず海外で活躍した後に、日本に戻ってきて社会に貢献する人も多いです。優秀な若者の海外流出は日本という国の認知度向上だけではなく、経済的にも文化的にもメリットはあります。
私も海外で様々な経験を積んできたからこそ、日本でビジネスを立ち上げ日本経済に貢献し、日本をよくしていきたいです。将来的にアメリカでしたいことも山ほどありますが、今はポテンシャルの高い日本を拠点に活動します。
大きな体格から想像できない超高校級プレーを連発した高校時代(75番)。提供:都立西高校アメリカンフットボール部保護者
闘争心をかきたててくれた
西高への恩返しを続けたい
秋の関東大会準決勝の際の一コマ。ラインの中心となってプレーをしていた
質問)私の知る限り、42期と64期が3年生だった関東大会ベスト4が近年最もよい記録です。準決勝は、共に僅差で敗退してしまい、「涙の駒沢第二競技場」ということで、私の中には刻印されています。庄島さんは、その64期の中心メンバーとして活躍したと聞いていますが、自らの現役時代に対しては不満なのだそうですね?今は、64期森下コーチのもと、コーチもしてくれているのですね。それはなぜなのでしょうか。
庄島さん)
西高には、人間面や学業面で優秀な人が沢山いたという話をしましたが、フットボールでも優秀な選手ばかりでした。秋の都大会は2位、関東大会はベスト4、最後は慶應義塾高校に負けてしまいましたが、本気で日本一を目指せる仲間でした。そんな優秀な西高で満足のゆく活躍ができなかったことが悔しくて闘争心に火がつき、二度とまわりの期待にこたえられない選手にはならないぞというモットーの下、アメリカンフットボール選手としての向上に燃えていました。西高での経験がなければUCLAへ行けるような選手には成長していなかったと思います。ロン毛で異端者の私を3年生から受け入れてくれた同期をはじめとする西高には感謝の気持ちしかありません。心から西高に行ってよかったと思っています。
「コーチングは西高への感謝の気持ちを伝える手段のひとつ」と語る庄島さん
コーチとしての関わりはその感謝の気持ちを伝える手段の一つです。あまり説教臭い先輩にはなりたくないですけど、私が学生時代得られたようなきっかけを学生たちにも与えられたらと思っています。将来的に私のビジネスが大きくなったら、海外留学サポートや奨学金制度のような貢献方法も積極的に行っていきたいです。人生全体の壮大なゲームプランについては、また次の機会に!
※ 庄島さんが3年生であった 2011年の試合の詳細はこちらをご覧ください。
人生で大切にしている信念
~Pride of Gyo編~
ここでは、話を伺った方が人生で大切にされている「信念」を探る。 今回はジオという愛称で人々から親しまれている庄島氏の座右の銘をコメントと共に紹介する。
「常に大きいサイズの靴を履け」
- 【意味】
- 人生の岐路に立った時などに、自分が想定するよりも大きな目標を掲げて、それに全力で立ち向かう。
- 【庄島氏コメント】
- (球技が苦手だったが、結局は日本人初のNCAA1部プレーという快挙を成し遂げた。) 難しいからこそ『やる』。挑戦することが自分の生き方、哲学になっている。 今の自分が形づくられているのは、人生において過去の選択の積み重ねがあってこそ。 『人間万事塞翁(さいおう)が馬』。決して過去を変えたいとは思わない。 遠回りでも、また同じ道を歩むと思います。