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卒業生探訪 - 17期 登張 信實
「常に、“実践者”たるべし。」

2024年10月24日 OWLS卒業生探訪

連載企画
「OWLS 卒業生探訪 ~あの期、あの人~」
Vol.6 17期 登張 信實
常に、“実践者”たるべし。

各界で活躍されるOWLS卒業生を紹介する連載企画“OWLS 卒業生探訪~あの期、あの人~”の第6回は、東京大学WARRIORSやOWLSでの監督、関東学生アメリカンフットボール連盟理事長を歴任し、現在はベンチサイドでの解説が好評を博している登張 信實氏(17期)に話を伺った。常に“自らにできることは何か”を考え、実践してきた登張氏の原点を紐解いていく。

※ 本企画では、チーム名が“OWLS”と定められる前の時代も含めて“OWLS”と表記します。

野心と身体のバランスに悩んだ学生時代

登張氏写真
登張 信實(とばり のぶみ) 1947年3月8日生。都立西高OWLSでアメリカンフットボールを始める。ポジションはLE/QB。東京大学WARRIORSでは選手、コーチ、監督として関わる。 同大経済学部卒業後は三井不動産株式会社に入社。執行役員広報部長、監査役等を務める。 1998年春から2005年春までOWLS監督。2001年春大会ではチームを都大会第4位、関東大会第3位へと導いた。2007年4月から2009年3月まで関東学生アメリカンフットボール連盟理事長。 現在は、保護者が試合観戦観戦を楽しめるように、“メガホンの解説者”としてグラウンドに立つ。

中学時代から密かに運動神経に自信があったという登張氏は、「何かを成し遂げてやろう」という野心を胸に西高の門をくぐったという。そんな彼を、どの部活よりも惹きつけたのは、全国大会出場も夢ではないOWLSだったという。

「入部のきっかけは、やっぱり“強かったから”ですね。私自身、背が高い方でしたので運動神経には密かに自信がありました。小学生のころは真ん中のちょっと上の身長ですばしっこいタイプだったのですが、中学生になると成長期に入り、1年間で14cmも伸びたこともありました。それで“なんかやってやろう”と入部しました。」

しかし、登張氏の成長は入部後もとどまることを知らず、そのバランスに苦労したという。それでも持ち前の長身を活かし、 3年時にチームは全国大会出場を果たした。

「入学時に173cmあった身長は、1年生の間に180cmを超えてしまい、自分のイメージと身体のバランスがうまく取れずに苦労しました。それでもやっぱり強くて実績があるチームは魅力的だったので諦めずに続けました。」

「身長の高さもあり、主なポジションはエンドでした。一方で、わりと早いパスを投げられたので、1年生の秋からはQBとしての練習もしていました。2年生になると、新入生でパスを投げられる後輩(註:18期金澤 実氏)が入部してきたので、私はエンドに落ち着きました。」

「あの頃は、3年生の秋まで活動することはほとんどなく、3年生の春か場合によっては2年生の秋で引退するのが慣例でした。メンバーが揃った年には全国大会に出場していましたね。どちらかと言えばランプレー中心だったため、QBはただボールを渡すだけでパスの頻度は低かったです。当時アメリカの本にはベストアスリートをQBにすると書いてありましたが、あまり腑に落ちていなかったですね。」

OWLS17期
OWLS17期の写真。

「私たちの一学年下には体格のよい選手が揃っていたので、我々の代と合わせるといいチームができました。しかし、2年時の成績が思わしくなかった悔しさから、多くの選手が引退せずに続けました。3年生になっても頑張った結果、全国大会に出場することができました。」

高校卒業後は東京大学へ進学しフットボールを続ける。 1年時にはQBとして 1部昇格に貢献、 3年時にはライスボウルに出場するなどの活躍を見せた。引退後は学生コーチとして後進の指導にあたった。

「高校卒業後は東京大学に進学し、フットボール部に入部しました。一応、経験者ではあったので、1年生のころからいろいろなポジションで出場していました。しかし、最初はうまくいかず、自分の思うように体が動くようになったのは3年生になってからでした。」

「1年生のころは2部の中で他のチームを圧倒していました。全勝で迎えた防衛大学校戦で、急遽QBとして出場しました。期待に応えようとパスを投げて勝利に貢献し、無事に1部昇格を果たしました。その後、卒業まで1部でプレーすることができました。」

「3年生のときには、監督から直々に声がかかり、ライスボウルに出場しました。当時のライスボウルは東西のオールスター対抗戦という形式でした。練習前日に日本大学が甲子園ボウルで負けてしまったこともあり、敵討ちのためにか結構厳しい練習をやらされました(笑)。
チームの中では身長が二番目に高く、当時の監督が体の大きな選手が好きだったこともあり、キックオフ要員として出場しました。頑張ったひとつの象徴として、いい思い出です。」

「選手を引退した後も、フットボールが非常に好きで熱心だったものですから、学生コーチをやりました。一方で、将来どういう仕事をするかといったイメージがわかずに留年しました。」

フットボール経験から導いた“2つの哲学”

仕事に対するイメージがわかないと留年していた登張氏であったが、縁あって三井不動産へ就職。仕事とフットボールの経験を結びつけることで、仕事に取り組む意味を見出すことができたという。

「当時の不動産業はオイルショックを受けて先行きが不安定だったため、“君たちはどう思っているか”というように、若い人の意見を聞こうという社風でした。おかげでいろいろと楽しくやらせてもらいました。」

「私の経験上、仕事とフットボールを結びつけると、2つのことが言えると思います。
1つめは“ドリル”と“プラクティス”。ドリルは個人の能力を高める部分的な反復練習で、プラクティスはドリルで付けた能力を基にした全体的な実践練習とでもいいましょうか…。
私は、入社後にある事業部の経理へ配属されました。当初は一生懸命に会計の基礎を勉強していたのですが、それだけでは面白いわけもなく(笑)、次第に事業部全体の収益構造を体系的に整理して分析するようになりました。すると、現場では“仕事は来るので利益が出ている感覚”なのに、本社負担分の支出を考えると、実は事業部全体としての収支はそこまでよくない、という事実が明らかになってくる。そういった指摘を若造がしても、周りは受け入れて一目置いてくれるようになりました。すると途端に仕事が面白くなってきましたね。もちろんドリルで鍛えたからこそではありますが、やはり全体を見て実践的に取り組むことが大事だと思っています。

2つめは“技術”。すなわち“矛盾した要求を解決するための工夫”ということです。
例えば、入部したばかりのランニングバックに、“最適なコースを選べ、だけどスピードは落とすな。”という指導は矛盾した要求です。コースを選ぶときには必然的にスピードが落ちますからね。ブロックもそうで、“低く、早く”と言いますが、低く行こうとするとスピードは落ちてしまう。しかし、それを両立させるための工夫こそが、技術だと思います。コーチはそういうことを背景に言っているわけですが、言われた方からすると矛盾した指導に悩まされてしまう。これらを両立させる技術を身に着けた時、その選手はグッと伸びますよね。
仕事でもそうです。会社が危機に直面すると、トップが矛盾しているようなことを言うのです。不況になれば“金を使うな、頭を使え。金を使わず、案件を増やせ。”というように。皆さんの会社ではどうですか?(笑)。多くの人は“社長は何を言っているのだ。そんなことできるわけがないだろう。”と思うでしょう。でも、私としては直感的にわかるのですよ。すぐに答えは出せないけど(笑)。そういう姿勢、考え方はスポーツの世界では当たり前で、とにかく頑張るしかないなと思いました。
例えば、土地を所有している企業に今までの業務で培ってきたノウハウを提供することで新たなビジネスを生み出す。お金ではなく知恵を使うことで、案件を増やすといったまさに社長が言っていた形になるわけです。周りが不満を口にしている時も“私は社長の言っていることがよくわかります。”とか生意気なことを言って(笑)、解決するための工夫を考えて実践することが大切だと思います。」

監督、そして“メガホンの解説者”へ。

三井不動産で働きながらもフットボールとの関わりが途切れることはなかった。東京大学WARRIORSで監督を務めた後、1998年春から2005年春まではOWLSの二代目監督を務め、2001年春大会ではチームを都大会第4位、関東大会第3位へと導いた。

登張氏が監督したOWLS53期の写真
登張氏が監督を務めていたOWLS53期。

「東京大学の監督を6年間やった後、小野さん(註:13期小野 恵稔氏。初代監督)から引き継ぐ形でOWLSの監督になりました。頼まれたら断れないタイプなので(笑)。当時は学生コーチが 1人で全部をやっていました。しばらくは様子を見ていましたが、さすがに難しいのではないかと思い“誰か仲間を連れてきなよ”と言うと、しばらくして加藤君(註:49期加藤 喜秋氏)、西村君(註:49期西村 啓太氏)たちが、その後平岡君(註:47期平岡 成太氏。現監督)も来てくれて、ずいぶんとスタッフは充実しました。」

「監督としての私はあまり大した実績は残せず、普通でした。でも、コーチとのミーティングはずいぶんとしました。練習ではウォーミングアップから始め、そのままアジリティドリルに移るのですが、コーチ陣がずっと談笑している。これはよくないと思いました。日頃からアジリティドリルが重要だと言っているのであれば、その練習が始まったら談笑をやめてチェックしなければならないわけですよね。また、“ウォーミングアップとアジリティドリルはメニューとしては連続してやっているが、それぞれが持つ意味は違うものだ”と言ったこともありました。どの程度役に立つかと思うと分かりませんが、そういうのは一度できればずっと継続されるものだと思っています。」

監督退任後は関東学生アメリカンフットボール連盟の理事長に就任。常にフットボールの人気を高めるかを考えていたという。その後、試合観戦時の保護者の会話を聞き、楽しんで観戦してもらうために“あること”を思いつく。

大会で保護者に試合を解説する登張氏の写真
大会で保護者に試合を解説する登張氏の様子。

「監督を退任した後も、OWLSの試合は必ず見に行っています。ある時、ベンチが“中で倒せ”や “外に出せ”と言っているのを聞いた保護者が、どういう意味なのかと不思議がっていました。経験者であればタイムマネジメントはフットボールで一番大事な要素なのでその意味がわかりますが(※)、保護者からしたらそこまでは当然分からないわけです。それであれば、保護者がもっと楽しんで観戦できるようにと、メガホンを使って解説するようになりました。」

※アメリカンフットボールでは、ボールキャリアが倒れる位置によって、時計が止まるか否かが変わる。
フィールド内で倒れれば時計は止まらず、フィールド外に出れば時計が止まる。
そのため、ディフェンス時には
自チームが勝っている場合:試合時間を進めて勝利に近づくために、キャリアをフィールド内でダウンさせる。
自チームが負けている場合:試合時間を残して反撃のチャンスをつかむために、キャリアをフィールド外でダウンさせる。
と、自チームの状況によってベンチからの指示も変わってくる。

ユーモアを交えて試合を解説する登張氏の写真
登張氏の解説は時にユーモアを交えながら行われ、親しみやすい内容となっている。

「最近では私も慣れてきて、シーズンの初戦のときは一般的なことを話しますが、だんだんと専門的な解説をしているつもりです。あるとき、やけに力強くうなずいてくれる保護者がいらしたのですが、どうやらフットボール経験者だったようで、私の解説になるほどと思ったのでしょう。多くの保護者が熱心に聞いてくださるので、私も解説をすること自体が楽しみになっています。」

「最近は高校フットボールのレベルも高くなって、解説した予想が外れてしまうこともあります。そういう時は“騙されるときは一緒に騙されましょう”と言っています(笑)。一方で、OWLSの指導陣がハイレベルなことを教えて、それを選手がちゃんと実践していることはとても誇らしいです。」

最後にこれからのOWLSへのメッセージを伺った。

「ちょうど人間が成長する時期にOWLSでフットボールに取り組んだ経験は、青春と言っては言葉が単純すぎますが、自分の人生の中で今でも強く意識に残っています。例えば、高校の後輩から、何か頼まれれば無条件でできることをやろうと思いますが、大学時代の人間関係ではそこまでは思えないですね(笑)。それだけ、特別な時間だったのだと思います。
だからこそ、皆さんにも一生懸命頑張ってほしいし、一生懸命やることで何か得るものがあると思います。
その際に効率よくやる方法を考えることが大切です。ただ、むやみやたらに取り組むのではなく、最大限の力を効率よく発揮することが大事なのです。OWLSはそれを経験できる場所だと思っていますので、ぜひとも頑張ってほしいと思います。」

人生で大切にしている信念
~Pride of Tobari編~

“チームプレーとは自分の持ち味をチームのために最大化する発想である”

【出典】
登張 信實
【登張氏コメント】
皆さんは、“チームプレーとは?”と聞かれてすぐに答えが出るでしょうか。結構難しいですよね。 私は、“自分の持ち味をチームのために最大化する発想”だと思っています。 例えば、OLの中にDLよりも大きい選手がいたとしたら、ゴールラインディフェンス時には守備に入ってもいいじゃないですか。監督時代には選手の方からそういう提案をしてほしいと思っていましたが、なかなか出ずに怒ったこともありました。この意義を体得すれば、もっとプレーすることが面白くなりますし、その後の人生もきっと豊かなものになると信じています。

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