卒業生探訪 - 39期 功能 拓郎×74期 功能 誠也
「一瞬を“作品”にするために
― 父と子をつないだ“宝物” ―」
2026年03月09日
「OWLS 卒業生探訪 ~あの期、あの人~」
Vol.9 親子対談 39期 功能 拓郎×74期 功能 誠也
各界で活躍されるOWLS卒業生を紹介する連載企画“OWLS 卒業生探訪~あの期、あの人~”第9回は、功能 拓郎氏(39期)と誠也氏(74期)父子に話を伺った。父が見せた景色、子が選んだ道、そして二人の想いをつないだ“宝物”を手がかりに、世代を超えて受け継がれるOWLSの伝統を紐解いていく。
※本企画では、チーム名が“OWLS”と定められる前の時代も含めて“OWLS”と表記します。
父が見せ、子が選んだOWLS

功能 拓郎(こうの たくろう) 1968年4月28日生まれ。1984年西高入学(39期)。ポジションはWR/SE。同期(39期)は、部員数23名と大量部員時代の初期に当たり、3年次には春季都大会3位、秋季都大会4位。慶應義塾大学卒業後は金融機関に勤務。次男誠也のOWLS入部以降、卒業生だけでなく選手父母間の交流も楽しみになっている。

功能 誠也(こうの まさや) 2003年12月8日生まれ。2019年西高入学(74期)。父の影響でOWLSに入部。ポジションはWR/DB/LB。高校3年次副将。2021年東京都選抜、ハドルマガジン・ハイスクールスーパースター選出。2022年西高卒業。西高先輩コーチ陣の影響を受け、早稲田大学BIG BEARSに入部。ポジションはLB。大学3年次副将に就任し、全日本大学選手権ベスト4、大学4年次には主将として関東リーグ優勝、全日本大学選手権ベスト4。
幼少期から水泳をしていた父・拓郎氏は水泳部に入部。しかし、同じことを続ける閉塞感にさいなまれていたという。そんな時に思い出したのが、入部説明会で感じたアメフトの魅力だった。
拓郎:子供の時から水泳をしていたこともあって、その延長線上で水泳部に入りました。しかし、だんだんと物足らなさを感じると同時に、新しいことにチャレンジしたい思いが強くなりました。その時に、みんなで集まって、厳しい練習かもしれないけど、熱く取り組んでいるOWLSの様子に刺激を受けて、同期の友人に紹介してもらいました。今でも覚えています。1学期が終わった直後の7月20日のことでした。先輩たちに挨拶へ行ったら“夏練はキツいが、本当に入る気なのか”と物好きを見るような顔で言われました(笑)。
拓郎:実は4月にOWLSの入部説明会に参加していました。当時はアメリカ由来のものに憧れがありました。それだけでなく、3年生の方が“アメフトは合理的なスポーツだから理不尽なことは一切ない”“体が小さい人もできるポジションがあるし、誰でも何がしかの役割が持てるポジションのあるスポーツだから、ぜひ入部してほしい”というプレゼンを堂々とされていて、その姿がとてもカッコよかったです。結局、その時は、新しく一歩踏み出す勇気はなかったのですが、徐々に“新しいスポーツを始めたい”という気持ちを抑えられなくなり、アメフトを始める決意をしました。
一方の子・誠也氏は「西高に入学したら迷わずアメフトをする」と決意していた。そこには、幼いころに父に連れられたOWLSの試合での原体験があったという。
誠也:アメフトとの出会いは、小学生の時に父に連れて行ってもらったOWLSの試合です。その時は、砂埃も凄いし、ユニフォームもドロドロで、“なんだこのスポーツは!”と、とても強い衝撃を受けました。高校の部活なのにたくさんの人が応援に来ていたのも印象的でした。
誠也:僕はもともと中学受験をしたのですが、縁がなくて。高校受験の際に自然と西高を目指すようになりました。そして、西高といえば、幼いころにグラウンドで見たあの景色が自然と浮かんできました。受験勉強の息抜きで見たNFLの面白さからアメフトへの興味が高まり、入学後は迷うことなくOWLSに入りました。

選手時代の誠也氏。無観客試合が続いたなかでの貴重な一枚。
拓郎:誠也がアメフトを始めてくれた時は本当に嬉しかったです。しかし、将来アメフトをやらせたいと思って試合に連れて行ったわけではありません。誠也は昔から運動が得意な子だったので、あくまで選択肢の一つとして、アメフトというスポーツを見せようと。そして何よりも、私自身がグラウンドに行けば誰かしら話せる友人が必ずいるので、それを楽しみにしていたことの方が強いです。
誠也:僕は幼少期から身体を動かすのが好きで、野球やテニスなど色々なスポーツをやっていました。他のスポーツと違い、アメフトはいくらでも叫んでいいし、人にぶつかれるじゃないですか。なので、きっと僕の本能がマッチしたのだと思います。そう考えると、大学生の今まで続けられるスポーツに出会えたことに、運というか、縁といったものをとても感じています。
“進取の気風”は時を選ばず
誠也氏の選手時代は、苦難の連続だった。新型コロナウィルスの影響で困難な時代に副将だった誠也氏を支えたのは“できることにがむしゃらに取り組む”という強い想いだった。
誠也:2年生の春大会が中止になり、引退まで無観客試合になってしまいました。休校で部活も止まりましたが、週3〜4回、部員同士で“リモート筋トレ”を続けました。秋大会は一発勝負。“絶対に勝つ”ことだけを考えて、本当にがむしゃらに取り組みました。
誠也:チーム作りについては、2つのことを意識していました。1つ目は“新しい知識の吸収”。社会人コーチから教わった新しい技術やアサインメントをとにかくがむしゃらに取り込みました。2つ目は“会える場を大切にする”こと。ジムでのトレーニングだったり、西高会館でお弁当を食べたり、お互いの想いを話すうちに“自分たちでなんとかしなきゃ”という意識が芽生えてきました。
誠也:僕は選手として“自分の価値を出す”ことを大切にしていました。もともとはレシーバーがメインで、両面でディフェンスバックをしていました。2年時にラインバッカーへコンバートしたのですが、その時に尾崎先生から“お前が一番タックルできる選手だ。だからこそ、お前がタックルしないで誰がプレーを止めるんだ。”と言われたことで自分の価値を強く認識しました。それからはディフェンスが好きになりましたし、タックルに対して自信を持つことができるようになりました。
拓郎氏の現役時代は、同学年で20名以上の選手を抱える大所帯だった。人数が増えるに伴って、練習メニューも“全体”から“パート”へ合理化されていった。チームの根底には、誠也氏の時代にも通じる、“進取の気風”と“卒業生の支援”があった。その甲斐もあってか、チームは春の都大会で3位、秋の都大会では4位という好成績をおさめた。
拓郎:私の代は23名で大量入部時代の始まりでした。それまでの練習はダッシュ/1on1/100ヤード走で3時間という流れでしたが、だんだんとパート練習が導入され、合理化されていきました。

拓郎氏3年時のオフェンスチーム(左端95番が本人)。多くの部員を抱えていた。
拓郎:アメフトは泥臭く見えますが、知的好奇心を刺激されることも多かったです。例えば、今でこそインターネットで色々な情報を入手できますが、当時は洋書を翻訳しながらチームに導入するなど、新しいものを取り入れる気風がありました。
拓郎:また、大学でアメフトを続けている先輩方が、よく教えに来てくれました。今振り返ると、ひとつひとつのポジションやプレーについて、とても理論的でハイレベルなお話しをしてくれていました。
父と子をつないだ“プレーブック”
春秋連続で関東大会に出場した父・拓郎氏と、叶わなかった子・誠也氏。親子の想いをつないだのは、今もなお功能家に残る“プレーブック”だった。
誠也:父は関東大会の出場経験がありますが、僕にとって関東大会は夢の舞台であり、高い壁でした。関東大会に出られなかったことで、現実の厳しさと同時にアメフトの面白さに気づくことができました。そこから、父と“どうすれば良いチームになるのか”という話をするようになりました。
拓郎:実は、チームは関東大会に出場しましたが、私自身は怪我によって試合に出ることができませんでした。チームを俯瞰していたからこそ“良いチームに必要なもの”を伝えることができたかもしれません。
誠也:父と話しているうちに、同じようなことで怒られたエピソードなどもあって、二人で笑い合ったりすることもありました。
拓郎:そうそう(笑)。そういったレガシーはあるかもしれないですね。
誠也:レガシーといえば、実は父が学生コーチ時代に使っていたプレーブックやノートが実家に残っています。当時のコーチやOBのコメントやメッセージが書かれているのを読んで、“環境や時代は違うけれど考え方は同じ”であることをひしひしと感じました。
拓郎:私自身は、正直、大学の選手として活躍するのは難しいだろうなと思いました。でも、やっぱりアメフトって面白いじゃないですか。それならばコーチとして選手とは違う目線で携わろうと決めました。で、これがそのプレーブックですが、中身は手書きです。みんなの味のある字が並んで、とても捨てることができませんでした。

拓郎氏がコーチを務めていた時のプレーブック。功能家に今も残る宝物である。
誠也:特に、“メッセージを持ったコーチは強い”という言葉に感銘を受けました。これ自体が一つのメッセージですよね。ひとことで本質を表現することが、チームにとってどれだけ大切であるかを痛感しました。
拓郎:その言葉は先輩コーチから教わりました。チームがより良い方に向かうためには、選手たちの行動を促すことが大切です。そのためには、コーチ自身が意志持っていないといけないし、それをわかりやすく伝えなければならない。私自身、今でも仕事の際に“ひとことで言い切れるか”と自問しています。そういうこともあり、誠也にはいつも“メッセージはなに?”と聞いていました。
誠也:今でも、卒業生の多くの方がコーチやスタッフをしてくださっていることもそうですし、何世代にもわたって受け継がれていく想いや伝統が、OWLSには本当にあるなって感じました。僕と父親、本当にこのプレーブックを通じていろんな話をすることができました。
高校時代の悔しさから、誠也氏は大学では日本一を目指すと決意。進学先に選んだのは、指導を受けたOWLSの先輩コーチ陣と同じ早稲田大学だった。BIG BEARSで200名をまとめる主将を務めた時も、常に“メッセージ”を発信し続けたという。
誠也:特に大切にしていたのは、“アメフトは作品だ”という言葉です。例えば、本当に綺麗にブロックされていて、タッチダウンへの道筋がはっきり見えるランプレーは、芸術的に見えるじゃないですか。でも、決してそれは偶然ではない。フィジカル、ファンダメンタル、アサインメント、コミュニケーションといった一人ひとりが今まで積み重ねてきたことの結果です。要するに、“作品”といえるプレーをするために、最高の準備をすることこそがアメフトの醍醐味だということですね。結果として大学日本一にはなれませんでしたが、関東1部リーグTOP8で優勝できたことは本当に良い思い出です。

BIG BEARS主将時の誠也氏(背番号10)。200名の部員へメッセージを発信し続けた。
最後に未来の西高生へのメッセージを伺った。
拓郎:子育てを終えた親の目線からお伝えしますと、高校生には無限の可能性が広がっていると思います。ぜひとも新しいことにチャレンジしてほしいです。アメフトは合理的なスポーツだからこそ、時に自分の役割や責任は何か、それに対して自分はどうすればよいのかという自己認識をシビアに行う必要があります。だからこそ、考え抜いて実際にできた時の楽しさやできなかった時の悔しさを経験することができます。これは社会に出てもきっと役に立つと思います。OWLSは、周りの仲間であったり、先輩とのつながりであったり、周囲のその期待感であったり、いろんなものを含めて、チャレンジする価値のある場所です。
誠也:OWLSは、“西高で一番応援されている部活”であると同時に“西高の象徴”だと自負しています。伝統を受け継ぎながら、時に仲間と切磋琢磨し、時に自分の弱さと向き合いながら、一生懸命頑張った先に、本当に応援してもらえる集団になることができるのだと思います。ぜひともOWLSの一員になって、応援される選手になってほしいですし、応援する卒業生になってほしいです。最後にはなりますが、せっかくであれば親子三代に挑戦したいです。その時には、日本一になれる選手を育てます!
人生で大切にしている信念
~Pride of Takuro編~
“もうダメだと思った先に道が開ける。”
- 【出典】
- 功能拓郎
- 【拓郎氏のコメント】
- 辛い時に、やめてしまったり、同じことを繰り返したりするだけではなく、一歩踏み出すことが大事だと思います。そうすれば、何か自分の視界も開けるし、周囲の呼びかけが聞こえるようになってくる。今でも行き詰まりを感じた時には、これを手掛かりに、冷静に次の一手を考えるようにしています(笑)。
人生で大切にしている信念
~Pride of Masaya編~
“運を引き寄せる努力”
- 【出典】
- 功能誠也
- 【誠也氏のコメント】
- 卒業生の言葉にも書かせていただきましたが、やはりこの言葉です。自分のやっていることが本当に正しいのか、本当に結果が出るのかと不安になった時に、最後まで信じて全力で取り組み続けることで、運もそうですし、出会いといった縁もいただけるのだと思います。自分を信じると同時に、頑張るきっかけになる言葉です。